明日は震災の日。
今日は東京大空襲の日。
毎年書いてますが、この日は曽祖母が亡くなった日。
江戸金子が始まって120年行くか行かないかくらいの時。
先祖が積み上げてきたものは空襲で灰塵と帰します。
祖父は子供達(叔父2人)に逃げるように言って永代橋方面に自転車で人々を非難させに行きます。
千葉方面に逃げろ!と言ったのか?海に行け!かどっちかを言ったと言います。
(忘れてしまいました)
その途中永代通りから東陽町の近くで曽祖母と叔父たちははぐれたんでしょうね。
人の最後が生きたまま焼かれるなんて考えただけでも悲しくなります。
命も文化財も無くなったらそれまでなんです。
曽祖母の死は戸籍を見るまで知らなかったんです。
戸籍に3/10の空襲ニテ焼死と書いてあります。
祖父と叔父達がどこでどう出会ったかは聴いていません。
多分叔母なら知っているかと思うので近く聴いてみたいと思います。
それから74年。
金子の一族も200年近く木場に居ます。
江戸っ子は三代続いたらと言います。
最近だと五代か六代じゃないとそうなりませんね。
江戸が好きな人は沢山います。
でも、こればかりは血でなっていく訳ですね。
お恥ずかしいけど、それが誇りになっていくんだと思います。
私は母が宮崎の人で生まれが宮崎なのでどちらかというと江戸っ子ではないですが、気性等は受け継いでる気がします。
言われますし(笑
最近はもう亡くなってしまっている叔父達が懐かしく思います。
八幡さまのお祭りの時の叔父さんのカッコよさはここ15年位で分かってきた感じがします。
歩き方とかね(笑
侠客の香りがする様なね。以前の深川のお祭りは本当に怖かった。
今のように誰でもなんて簡単じゃなかった。うちの父親ですら「お前どこのモンだ!??」と言われるくらい。
で、父親の兄貴が(先出の叔父さん)が「俺の弟に文句あるのか!?」と言われその人物がビビって黙ると言う様な事もあったそうです。
金子は長く総代の家ですから、その家の人間にそんな事言った日には………
そんな話聴いてるとカッコいいな〜と思うんです。
叔父達の江戸っ子の感は多分江戸時代の残り香がまだ色濃くあったんだと思うんです。
(ちなみに父は1人が直ぐ亡くなった為の七人兄弟です。)
空襲で焼け野原になったけど、子供の頃は木場に行くと文字通り木の香りがして、材木だらけで運河には丸太が筏になって浮いてて、今思い出しても良い町並みでしたね。
父親にもそう言う江戸の香りはたまに感じますが、叔父達は戦前生まれ、父は戦後、それだけでも随分違うと思うのです。
本家に同い年の女性が居ます。
彼女はそれを彷彿させます。
嫁に行った所も親方の家です。火消ですね。
旦那は冠婚葬祭全て半纏で現れます。
粋な男性です。
そう言う物が自分の近くに普通にあると分からないもので、自分は恵まれていると改めて思うのです。
話は空襲の話に。
毎年ですが、この日は年に何度かある悲しい日。
今日は何故かふとした時に涙が出ます。
考えるとね…
空襲で全て焼けたので写真も無いし、会った事は無いけど、曽祖母のばあちゃん、「ありがとう」って思います。
そして安らかに。
先祖の事が微妙に解らずなんです。
長女の叔母に聴くしか無いんです。
聞きに行かないと。