whole8 オフィシャルブログ        カネコは食わねど高楊枝

彫刻家 寺社仏閣、史跡等に作品を納めています。 whole8.6th@gmail.com

電話が鳴り。

週末の日野の事を書こうかと思ってたのですが。

夕食後電話が鳴る。

「お!友人のm君だ」

「はいはい」

と普通に出るよね。

m君「こんばんは。あのさ、急な事だけどn君亡くなったって。」

と連絡を受ける。

nとは大学時から仲がよく大学卒業しても良く遊んだ。

色々話したし、彼のとある試験の時は早朝に試験場まで行って応援した。

確かその時銀のブレスレットを作ってお守りとしてあげた。

彼は無事受かり、新しい仕事に就いた。

それからはまた、本当に良く飲んだり、イベント参加したりしたんだけど。

余りに距離が近くちょっとずつ距離を置く様にした。

彼女もいたし、彼とばかりという訳にもいかない。

そのまま会わなくなって連絡もしなくなった。

(書けば本当に長い話で)

かれこれ10年近いかな?

彼は私がパリに行った事やNYで個展した事も知らない。

増上寺の個展も案内は出さなかった。

多分来ても同級生と会っても話さないだろうし、個展時にお守り的な事はしたくない。

何より最後の方はいつも上から言う彼に対して嫌悪感があったから。

でも、その彼が亡くなったのを知ると寂しく思う。

連絡も大学時の友人は誰も知らずかなり遠回りで連絡が来た。

生前「大学時の人間は合わないし、腹が立つ!」

と言っていた。

腹が立つと立腹するには理由がある訳だが、たしかに彼からするとそうも言いたくなる理由はあった。

 

この数年病気が分かった時に連絡くれてもと今日思った。

自分は連絡もしなかったのに虫の良い話だ。

悪かったな。と思う。

彼が初めて病院で医師に宣告された時や、入院中病院の窓から外を見たりしてる時何考えたんだろ?

身体が動かなくなった時どうしたんだろう?

と今になって考える。

色々な人に会えなくなる事は薄々分かってたと思う。

連絡くれたらな…とやっぱり自分の都合で考える。

 

彼と飲むと良く歴史の話や祖父の話をした。

お互いの祖父の戦時の時の事や剣術の事。

女の話も随分したし、合コンもセッティング何回もした(笑

でももう居ないんだな。

 

彼が亡くなり、彼の部屋には多分頼まれて制作した戦艦長門、大和、空母赤城、ガンプラガレージキットの完成品が多分まだあると思う。

プラモデル買いに良くあちこち行ったのも思い出す。

 

人は居なくなると思い出を残す。

彼からすれば俺は手が遅いし、なかなか上手くならない駄目な奴だったろうな、

と思う。

10年話さずだけど、顔ははっきり覚えてる。

だから死ぬ間際の顔を見てない自分の中は30代のままだ。

彼が何を残したかは判らない。

友達だって私が知らないだけでいたんだからそれで良い。

自分は友達だった人間だ。

でも、連絡を受けてからずっと考えてる。

50前で亡くなった彼とまだあと少し生きる自分。

時間はやはりどう考えても無い。

遊びたいと思う時もあるけど制作しようと思う。

奥さんにも言われた。

とにかく作ろう。

それしか無い。

モヤモヤしながらも眠くなるまで制作する。