最近のモヤモヤ。
最近のモヤモヤしてる事を綴ります。
文面もかなり酷いと思うので読まなくて良いです(笑
工房で一人で絶えず痛みが肩から腕にある今。
気分も落ちるわけです。
自分が義経公を彫ったのか?
確かに制作始めて直ぐあまりの難しさに逃げ出したんです。
全く鎧等分からずで手探で毎日最低12時間以上彫ってた。
という思い出はある。
せっかくニューヨークのギャラリーから声が掛かり人生初めての個展。
頑張った。
けど、今この作品を見ても現実味が無いんです。
ニューヨークで直ぐに買いたいという人が現れて、凄いプライスだったんだけど、まさか買うって人が現れると思って居なかったから…
その時は断ったんです。
像が完成後工房で見上げて訳わからないくらい嬉しかった作品。
2年前の事を思い出していくと色々思い出す。
ちなみにニューヨークでの義経公の作品は350万程。
そこに税金が乗るのだけれど、それともう一つの新作の妖猫退治も買う!というと言ってくれる人がいて、個展終わり寸前でたまたま通り掛かったメトロポリタンの人が急に「上司連れてくる!!」
と言い出して、「もう終わりなんです」と返答したら、
「なんでもっとDM撒かないのよ!!連絡してよ!」
「勿体無い」と言ってくれたり、
こう、思い返して書きだすと自信が湧いてきた。
自分の力でここまで来たんだと思える感じもするが、今のように動かない腕と気持ち。
色々弱気になる。でも、色々考えている事と夢がある。
文字に書き出して少し気分が楽になるなら恥ずかしいけどぶろに書き出す。
増上寺での事もそうだ。
始めは5年前の増上寺でのコンペに出た1人。
5年後の今年は増上寺で1人で個展。
この5年の時間の使い方は間違えじゃ無いし、人に負けないくらい彫る事しかしてない。
睡眠も削り、殆ど遊んで無い。好きな人ともデートに行かない。
ただただ彫ってきた。
フィギュアみたいな二次産業は楽だろう。
考える事を他人にさせてる訳だ。
考えてずっと締め切りやコンペにだしたりして来た。
出したコンペでは全て賞をもらった。
けど、まだまだ中途半端で5年が過ぎた。
どうする??
以前の友人みたいにフィギュアはアートだ!
と言ってたが、未だに人の絵を立体にして成長してないフィギュアが趣味の様に戻るのか?
最近他の人の立体見てもそこまでの感動はない感もある。
自分も成長してるのか?感情がなくなったのか?
でも、身体は動かずで思い通り作れない。
ジレンマ。
その度に義経公の像を見る。
自分が作ったのか?と。
法然上人像を去年の今頃彫っていて、終わったあとにとある事にも気付いた。
彫りながら「法然上人」とずっと唱えてた。
いつしかその言葉もなくなりかなり白い感じになってて、終わりを迎えてた。
この感覚は初めてで、
数日前にふと心形刀流の無一って……って思った程。
作りあげた法然上人像も鵺と同じに大きく重い。
でも、それに気付かない位没頭して終わっていた。
そんな境界まで自分を押し上げれたけれど、今の自分は本当に酷い。
毎日散歩して、痛み止め飲んで痛さを理由に制作もしない。
本当に戻れるのだろうか??
そんな事を考えて落ち込む毎日。
Twitterの固定見ても良く分からない。
これ自分が彫ったのか?
そんな自問自答の日々。
色々な人が義経公の写真又は実物を見てくれた。
それに応えたいと思ってる。