whole8 オフィシャルブログ        カネコは食わねど高楊枝

彫刻家 寺社仏閣、史跡等に作品を納めています。 whole8.6th@gmail.com

名古屋から伊賀上野、京都 その4

昨日は免許書き換え。
写真が悪い人の顔になってました。
眼鏡が反射するので眼鏡は取ってと言われて、何故か背筋伸ばしてたら少し緩めてくださいと言われて、とったらなんと!顔が随分とアップになっていて今まで一番凶悪な写真に…

と、そんな話は終わらせて「鍵屋の辻」である。
渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の敵の河合又五郎を討つ実話。今では、そんなに知られていいない戦前までは敵討ちの話として有名な話だったと思います。

と、辻は今こんな感じです。
ここで斬り合いが行われたとは思えない静かさ。

説明の看板。
でも、すぐ夜になってしまい、帰ることに。
伊賀上野は城下町なので街並みが少し残りとても雰囲気は良いです。

通りはこんな感じに。
電灯も光が良いです。
ここから田中くんの家に。
山の中なので星が綺麗です。
久しぶりに夜中まで話をしました。
ご飯をご馳走になり、風呂と、至れり尽くせりです。
作家仲間って良いですよね。
私の場合陶芸家の友人がものすごく多いですが、皆本当によくしてくれます。
初めて幕末の建物で寝れるのも気分が上がります、
そして、朝!
昼前から伊賀上野城等の観光に!

伊賀上野城

藤堂高虎が建てた城です。
築城の名人と言われた彼が建てた城の遺構は本当に素晴らしい。

ですが、城は立て直したものなんですよね。

でも、凄いのは個人が建て直したという事!
伊賀上野城跡に衆議院議員であった川崎克が私財を投じて建てた模擬天守である。川崎の「攻防策戦の城は滅ぶ時あるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」との理想をもとに、「伊賀文化産業城」と命名された。昭和7年(1932年)10月14日地鎮祭を執行、工事に着手、翌年11月19日の棟上式、昭和10年(1935年)10月18日に完成したとのこと。
更に
川崎克の純和風への強い要望により、同時期にコンクリート建築で再建された大坂城復興天守とは異なり、木造で瓦葺き、白漆喰塗籠の層塔型3層3階、高さ23mの大天守と、2層2階の小天守が建てられた[注釈 3]。史的考証による設計はなされておらず、五層天守天守台に三層天守を建てたために、天守台敷地の半分程度しか使用していないとありますが、実際四階三階建てになってしまっても、本当に素晴らしいと思います。

棟上げ当時の写真だそうです。
個人が立てるなんて、そして、今も皆に大事にされてるなんて。
そして、所蔵の資料もなかなか凄いです!
藤堂高虎の兜や、刀剣、甲冑と見ていて飽きません。
一階は伊賀焼も展示されてました。

と、資料の写真を沢山貼っても意味ないので、是非、一度行ってみて下さい。
石垣はとても素晴らしく、伊賀上野の空気はとても良かったです。
そして、また田中くんにわがままを言い鍵屋の辻へ。
お店はやっていましたが、入りませんでしたが、資料館には、ここにも武具等の展示がありました。
荒木又右衛門の屋敷跡等もあるみたいですが、この日は駅までお祭りがあり、車でそこを超えるにはなかなかめんどくさく諦めました。
ここから、どう帰るかずっと考えていました。
名古屋に戻って新幹線。
いつもお世話になってる京都壬生は旧前川邸様にお礼に行くか?
でも、金額的に京都まで出た方が安い事実があり、ここから一人、列車の旅をすることにしました。
田中君に少し先の駅まで送ってもらいました。
なかなかローカルな駅。

と、ここで、田中君とはお別れ。
本当にお世話になりました。
こういう旅は最近していないので新鮮です。
どこに行くのもハーレーで行ってたので、本当に目新しい事ばかり。
電車の乗り継ぎも殆ど分からずで色々な人に聞いて旅をする。
もちろんハーレーの旅もそうなんですが、土地の人と話すのが旅の醍醐味と思うんです。
今はスマホがあり便利ですが、人と触れ合えないなら旅なんて行ってもつまらないし、電車だろうが、ハーレーだろうが、一人旅が好きだと改めて思いました。

つづく